珍しくベストセラーとなった原作を読まずに観てきたが、キリスト教が生きる上での土台となっている民族(信じる信じないにかかわらず)であれば容易く理解できるであろう事柄を脳で一旦考えてから理解するようにして観なければならなかった。
所詮今の日本人の根底に流れているものは、神道なのか仏教なのかよく分からないまま今に至っているように私は感じている。この信念のなさ(よく言えば“長いものには巻かれろ”的なスタンス)が日本人であるようにも思えるのだが、そんなどっちつかずのような代表である私には難しかった。
この【ダ・ヴィンチ・コード】には自分を鞭打つ狂信的な信者が出てくるが、その意味は、以前観た映画【パッション】でイエス・キリストが鞭打たれるシーンを見ていたから理解することができた。
一つ一つの心情や、背景を映画と言う短い時間の中で表現すると言うことは難しいことであり、しかもそれを、何の先入観も知識もないものが観て分かるようなものにするのは、本当に難しい問題なのだろうと思う。
そこで会話によって説明が加えられていくような構成になっていくのであろうが、この会話がフランス語と英語のやり取りであったり、キリスト教の導師や教皇といった耳慣れない言葉がたくさん出てくる為、すっかり混乱しながら事柄を整理し、皺の足りない脳みそをフル回転させなければならなかった。
しかも字幕で「綴り字合わせ」と出ても、台詞の「anagram」という言葉の方が、洋画を多少なりとも見ている自分としては“アナグラム”と言う単語遊びの事か...と分かったりした。
これは日本人に向いた映画だという話であるが、教養のない日本人である私は原作を読んでから観た方が良かったかもしれない。
しかし、要所要所での謎解きやサスペンス感は面白かった。
映画全編において私は、眉間に皺を寄せ、痛々しい場面では顔を覆いながら観ていてあまり笑えるところはなかったのだが、映画館に来ていた多くの米国人がチラッと散りばめられたアメリカンジョークで笑っていたのがちょっと口惜しかった。。。
アメリカンジョークを理解する事が一番の相互理解になるかもしれないと一瞬本気で考えた。
アメリカンジョークが分からなくてもキリスト教が分からなくても
何もも考えずに思いっきり楽しめる映画が観たくなりながら劇場を出ると、こんな立て看板がどどーんと立っていた。
早くすっとぼけたジョニーデップに会いたいよーん